
「君でいいよ」の言葉で決心
-入社したきっかけは?
兵庫県知事の依頼でプランニングした淡路島の動植物園を充実をさせるため管理をしている時、大阪市の鶴見緑地で1990年に花博開催の計画が浮上しました。淡路での仕事の傍ら、大阪市公園協会(大阪スポーツみどり財団前身)よりの依頼で、1987年より大温室計画、栽培担当職員の研修などに参画しました。
大盛況のうち花博が終了し、その後、咲くやこの花館責任者より後継者探しを頼まれました。しかし、思うように進まず難航しました。そんな時、当時の責任者から「君でいいよ」の言葉で、淡路に心残りながら赴任しました。